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カルマによる輪廻転生を生きるという考え方をすると、現世は前世の償いであり、また、来世への奉仕ということになる。
『自分に起こっていることは過去のカルマの償いであり、それを清算し、来世にカルマを残さないために善行を積む。』そのような考え方で生きることも間違えではないと思う。もしかしたら、それが真実なのかもしれない、、、
しかし、そこに幸せはある?何度、輪廻転生しても、前世に基づいて生き、来世のために行動する。では、何のための現世?『いま、わたしが、ここにいる』意味は何なのでしょうか?
カルマの解消としての現世を生きていると、そこには何の喜びも見出せない。ともすれば、苦行を積むこと=カルマの解消=生きる意味という結論に陥り、『自分は苦しむために生きているのだ』と思う。
しかし、それはあまりにも苦しい。本当に、高次の存在がそんなことを意図してるのかな。私たちの魂の還る光の国は、愛と感謝に満ち溢れた世界と言われている愛と感謝という本質を持っている魂が、前世での罪を決して許さず、未来永劫続く苦しみを与えるようなことがある?それよりも、前世での学びを踏まえて、『次はもっとこう生きよう』と決意して、より幸せになるために生まれてきたと考えるほうが、自然ではないのかな、、、
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君は悪い女の子かもしれないけど、俺はもっと悪い男の子
続き
前世の罪を贖罪するために生まれてくると考えると、輪廻転生は罰であると考えられる。そのような考え方をすると、生そのものが苦行であり、いま生きている人はすべて罪を償うために生きていると思う。
しかし一方で、肉体を持って生まれるということは、『魂』にとってのプラチナチケットで、ものすごい競争率を勝ち抜いた幸運なことであるという考え方もある。
魂は、肉体を持ってさまざまなことを体験することにより、飛躍的に成長を遂げるだろう。魂は自分の成長のために必要な条件を選んで、あるときは試練を計画したうえで輪廻転生する。
それは魂の自由意志であり、何らかの罰でもなければ、報酬でもないという考え方
輪廻転生(宗教はありません。)
現世で苦しんでいることは、前世での悪行(カルマ)によるものである。』このように、現世での試練を過去に理由づける考え方がある。
しかし、本当にそうなのかな?
たとえば、前世で人を殺めた人は、必ず現世で殺められる宿命にあるという。そのカルマを消化しない限り、幸せになれないの?
まぁ、そう考えたほうが、自分はラクだよね。いま、自分が幸せでないのは、前世のカルマのせいだ。つまり、現世の自分には非がないという考え方。
『私はこういう宿命なのだ』と不本意な現状を甘んじて受け入れ、それを嘆くだけ。そこには何かを改善しようという努力は発生せず、ただなんとなく生きていく毎日がある。
それは『ラク』ではあるけど、何の『楽しみ』もない。そこに、生きる意味を見いだせないのも、無理もない。
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どれだけ愛されてたとしても、愛す自信はまったくない。
槙島
本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。調子の悪い時に、本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているのか考える。調子が悪い時でも、スラスラと内容が入ってくる本もある。何故そうなのか考える。精神的な調律。チューニングみたいなものかな。調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。