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法的効力がない義務の要請なんて、各々の道徳心に委ねるものであるから、そこにギャップがあるのは当たり前。そのギャップに違和感を感じてたとしても大勢で叩いたり、炎上させるのは、多様性を否定してるとしか思えない。
そもそも道徳心のボーダーラインなんか正解か不正解かどっちかという議論すら起こりえない、いやこの世の全ての物事に正解なんかないでしょ。状況1つで簡単にヒックリ変えるんだから。
物事に正解がないってつまり善い生き方、悪い生き方もないということ善い選択肢、悪い選択のどちらもあり得ない。
善い選択肢、悪い選択肢のどちらもない。
じゃあどうすればいいか。
投げやりっぽく聞こえるけど、好きな選択肢を選ぼうそう、善い選択じゃなくて、単純に好きな方へ。
何か問題に直面し、何かしらの決断を迫られたとき、善いほうの選択肢を探すのは得策ではない。何かを選び取るとき、手を伸ばす盃は、なんだか楽しそうで好きな感じのするほうがいいっしょ。好きなほうを選ぶのが一番。
物事に善い悪いは存在しない。だから、判断の軸となり得るのは、好きか嫌いか、という個人的な感情でしかない。
道徳心の押し付けなんて傲慢にもほどがある。